No Room for Squares!

街と猫と追憶を撮る

「廃れる」ことの意味

 

 

 

 

 

 

 

秋田県男鹿市。JR男鹿駅前の光景である。男鹿半島のほぼ全域が男鹿市にあたる。「なまはげ」が有名であり、それなりに大きな町ではないかと想像する人も多いだろう。駅前は掲載した写真のような感じで、かなり寂しい。そもそも男鹿市の人口は21,000人程度しかない。宿泊しようにもビジネスホテル的なものも全く存在しない。駅前に何軒かの旅館があるだけだ。男鹿温泉郷(駅からは遠い)まで行けば、温泉ホテル・旅館があるので、宿泊者はそちらに行くと思う。畢竟、地元民と、わずかな商人客しか来ない駅前周辺は廃れていく。ちなみに繁華街は坂を登った上にあり、一見ではまず辿り着かない。観光客が行く場所ではなく、地元の旦那衆が飲み歩く場所だったのだろう(当然、廃れている)。

 

それでも一言断っておきたい。先ほど「廃れていく」と書いたが、それはこの街の変化をいうのであって、他と比較するものではない。すべての町が栄えているはずだというのは、大都市に住む人が持つ幻影である。地方には地方の都市(町)の姿がある。今回の男鹿市にしても、首都圏の街と比較して廃れているというのは間違いだ。間違いというより当たり前の話だ。住民だって、都会と比較して優位であるなんて微塵も思っていない。元々小さな街だけど、年を追うごとに過疎化が進行する。その相対的な変化を問題視しているのである。新宿で例えてみよう。新宿の街の規模が今の半分になっても、他から見れば巨大な街のままだと思う。他所からみたら、大都会の一言で片付けられるのだ。でも新宿の関係者は違うでしょ。現状の規模ではなく、「半分になった」という相対的な変化にフォーカスすると思う。男鹿でいう「廃れる」の意味も、規模は違えど、全く同じことなのだ。

 

 

X100Ⅵ

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